2009年12月25日金曜日

毎年クリスマスが来ると。。。

毎年,クリスマスの時期には同じ事をします。
だから、これが届くと、”あ〜、クリスマスだな〜!!”と,ひしひしと感じてしまいます。


まずはこれ。。。



人との集まりの多くなるこの季節、ワインの買い置きは必需です。
今年の買い置きワインはこちら、3ダースも買い込みました。


もう一つはこちら。。。
中身は。。

イベリコ豚のハブゴのハムです。
これこそスペインのクリスマスです。
日本でいえば、かまぼこ、塩鮭、お餅でしょうかね。

クリスマスにちなんで,マドリッドを満喫してみました。
ちょうど、外国よりお友達がやってきたので、このチャンスに、一緒にマドリッド、クラシックルートを楽しむ事が出来ました。


こちら、ヘミングウェーの”日はまた昇る”にも、記述された程のレストラン。
ツーリストでいつも一杯ですが、未だに私のお気に入りの場所です。
2年前になくなった義理のお母さんと一緒によく来ました。

いつも通り、子豚のローストをメインに注文ました。
前菜のピーマンとたらのサラダ、アンティチョークのハム炒めは、しっかりいただきましたが、実はわたし,前日も遅くまで重いディナー、プラスここへくる前のタパスですっかりお腹いっぱいで,メインは殆ど食べれませんでした。残念。。。幸運な事に、私の分は連れが喜んで平らげてくれました。(超大柄の、もとラガーの彼は3人前は軽くいけそうでした)





デザートの段になって,写真を撮り忘れた事に気づいて食べかけですが。。
ARROZ CON LECHE/お米のミルク煮と、 FLAN/プリンは自家製で、昔ながらの味です。



このレストランは,私の連れと同様、アメリカ人が目立つレストランですが、私たちのすぐ隣に私たちが入ってから一人でワインPROTOSを一人で飲んでらしたアメリカ人らしい青年、私たちのデザートが運ばれてきた頃,褐色の素敵な女性登場!!どうやら待ちに待った再会だったようで、今までと打って変わってきらきらと輝く青年の顔を見るだけで,こちらまで嬉しくなってしまいました。


この後は,腹ごなしも兼ねて,王宮へ。



この日は,突然の公式行事で、中の見学は出来ませんでしたが,ベレンと、王家のブロンズのコレクションをちらりとみる事が出来ました。

展示場は,王宮のひっそりした中庭にある一室でした。


この足でTEMPLO DE DEBODへ。(ちなみに写真の二人は知らないひとです)




この神殿は、エジプトのアスワンダムの建設によって浸水の危機にあった遺跡の保存に協力した国々の中に含まれるスペインに、感謝の意を込めて寄贈されたもの。他にも、イタリア、オランダ,アメリカに,それぞれ神殿が寄贈されているらしいです。





ほぼ、当時のオリエンテーションに忠実に設置されているらしい。
勿論、内部も見学出来ます。


2000年以上前にナイル川付近に建設された神殿がマドリッドに。。
何とも不思議です。





こちらの写真は,折角なので,当神殿に関するウィキペディアよりお借りしました。
夜のライトアップはさらに素敵なんです。


もう一つ,私のお気に入りの場所へ。





CAFE DE ESPEJOです。
観光客としてきたときに,マドリッドにすむ友人に連れてきてもらったのですが,とても気に入って、その後マドリッドに住み始めてからも事あるごとに頻繁に利用していました。


現在、通りの工事であまりいい眺めはありませんが、少し高い所から眺める人通りはなかなか飽きるものではありません。夏の夜のテラスは、キラキラして,映画の主人公になったような気分にさせてくれる素敵なカフェです。


夜は、またCAVA BAJAにある、CASA DE LUCIOでのお約束でしたので、再び旧市街へ。


プエルタデソルを通っていきました。


ここにも、イルミネーションのみのクリスマスツリーが。

中に入れる様になっていました。
ここは,例年今の時期にはひとがごった返して大変なことになっている筈なのですが,この日は何故か、快適に通過完了。
これも不況のあおりでしょうか。。。

このあとは、プラザマヨールへ。


昔ながらのメリーゴーランドがかわいらしく動いていました。

夕飯は,年配の方々に招待されての席でしたので写真は無しですが、CASA DE LUCIO
、さすがの老舗だけあって美味しいこと。。。

前日に続き、食べ過ぎの1日でした。

この後は,友人と待ち合わせてDELICへ。意気投合した隣の席の人の振る舞いなどもありモヒート、飲み過ぎました。。。。

こうやって,クリスマスは,人と会い,美味しいものをたらふく食べ,飲んで過ごすのがスペイン流のようです。。。。取りあえず私はそうしてます。

では。

2009年12月20日日曜日

一週間もご無沙汰です。

今日は。
師走は忙しいです。

何といっても,付き合いで,毎日がどんどん去ってしまいます。

おまけに、もう20日だというのに,クリスマスプレゼントも一才用意してません。。。

もう一週間前になりますが,娘の学校のクリスマス会へいってきました。
うちの娘は5年生なのですが,会場のキャパの関係よりこの日は5年生と6年生のみにあたりました。
5年生は2クラス有り,娘のクラスは自分たちで作った、”クリスマスの3つのボール達”という劇をして、娘は

こんな衣装を着て、ピンクのボールの役でした。
いつも,クリスマスは,一週間程早めて休暇を取ってしまう私たちなので,(学校は勝手に休ませていただいてました)生まれてこの方,うちの娘はこのクリスマス会にでたことがなかったのです。そういきさつもあり、とても嬉しそうでした。
かわいらしい劇でした。


”小学生のやること”,という先入観でみた、5年生のもう一つのクラスの出し物には,みんなびっくり仰天でした。出し物は,マイケルジャクソンの"BLACK &WHITE"だったんですが,この写真の男の子,いつも校庭で”かわいいな〜”と思ってみていたんですが,踊りがプロ並み。。。3人のマイケルと、その他の取り巻きが登場するのですが,衣装も、踊りもかなりこっていて,飽いた口が塞がらない状態でした。将来には、”ハイスクールミュージカル”でしょうか。。。

このあと、我が家に何人かの子供達と親達がやってきました。


ともちゃんさんに触発されて作ったスイートポテト。
殆どお砂糖を入れませんでしたが,たっぷり甘かったです。
相変わらず見ためが。。。いまいちです。どうやったらおいしそうにできるのでしょう???


残り物で作ったピザでお祝いです。
ベーコン、ピーマン、トマト、玉葱でつくりました。

この日夜には、私に他の予定が入っていたので、残念ながら早めに終わってしまいましたが,小学校のみんなで久々に楽しいひとときを過ごしました。

クリスマスはこういった口実で,みんなと集う機会が多くなって幸せです。

では。

2009年12月12日土曜日

クリスマスももう間近です。


これは、スペインの子供達が大好きな12月のカレンダー。
日付の所が扉になっていて、毎日その日付の所を開けて、中に隠されているチョコレートを食べながらクリスマスの日を待ちどうしく数えるという趣向のものです。
娘は,毎朝、待ちに待ったという感じで,小さな扉を開けてその日の小さなチョコレートを食べます。


日付はバラバラになっているので,ちょっと探さなくてはいけません。

昨日は,友人との集まりで、シーフード三昧でしたしたので、今日は,夫のリクエストで,簡単なスペインらしい夕食を我が家でいただきました。(時間もなかったので)
それがこちら。。。


アビラのLOMO ALTO(背肉??)をただ焼いたものと、バルサミコ和えのサラダ。
お肉は緑胡椒で多少香りづけしましたが,超シンプルなもので、作るのに10分とかかりません。アビラのお肉は、世界的にも認められているらしいだけ有って、美味しいですね〜。

こういった感じのお肉は,普段は食べたいとは思いませんが,たまに無償に食べたくなります。

ワインはこちら。
頂き物です。特別なワインではないようですが,かなり美味しいです。

実は、本日、我が家の愛犬は散歩中に逃亡してしまったので、私はこの忙しい中,2時間余その辺りを探しまわるはめになりました。お陰で,最近の運動不足は多少解消されたもの、ご本人はこんな感じでした。


いなくなる度に、”車に轢かれていたら”とか、”心ない人にさらわれてしまったら”などという思いが絶えず脳裏を駆け巡るのですが、実際は呑気なもので、2時間後、山中をポメラニアン3匹を連れてフッティング中の金髪の美人さんの後にあたかも自分も4匹目のような顔で群れになって走っている所を発見。。。。
いつもながらあきれましたが、そこはほっとした安堵感が先行しますので怒れず。犬のトレーナーからも、”そこで怒ってしまうと余計かえって来なくなる”と言われてますので優しく迎えました。
それにしても,困ったものです。

では。

2009年12月8日火曜日

今年も沢山の家族がやってきました!!PRE-NAVIDAD!!

うちの夫は、家族というものに異常に執着のあるひとで、それも、恐らく反抗期の若いうちにお父様を交通事故でなくしてしまって、そこにぽっかり穴があいてしまったという経験をしているからだと私は勝手に思っているのですが、自分の兄弟だけでなく、おじさんおばさん、いとこ、またいとこ、その又いとこ。。。との関係をとても大切にします。

数年前より、我が家で12月の第一週にお父様のご兄弟二人を中心にした集まりを催すきまりになりました。

亡きお父様のお兄さんであるTIO PACOはイエズス会の僧侶で、ローマ法王と長年仕事をしていた事もある学識の有るとても興味深い方で、癌末期患者として宣告されマドリッドに隠居して20年以にはなります。
私が初めて夫とつきあい始めた頃、マドリッド市内の修道院に隠居していたのでよく会いにいきましたが、その頃からもう末期患者で先は長くないといっていましたから。。。あれから15年以上経ってます。歩く図書館のようなひとで、何でも知っていて、何を質問してもユーモアのある満足のいく答えが返ってくるので何時間話していても飽きません。
今は、数年前よりアルカラデエナレスの修道院へ移転してしまって、残念ながら、会う事がかなり少なくなってしまいました。

もう一人のTIO ALFREDOはカナリアに在住する元化学者で、やはり隠居して数十年になります。
彼も着眼点が世間離れしていて、一緒にいる間中笑いが止まらなくしてくれるひとです。

この兄弟、1年のうち、唯一会うのが我が家なんです。
いまや私にとっては自分の血のつながっているおじさんのような存在です。

この集まりには、毎回20人程が集まってきます。今年もTIO ALFREDOの息子娘3人、孫4人、夫のその他のいとこ達4人とその配偶者、夫の姪っ子甥っ子4人とその配偶者、私と娘を混ぜると総勢26人ほどでした。年齢も8歳から88歳とはばひろく、バラエティーの広い心温まるものでした。

この日は日曜日にも関わらず、午前中、どうしても変更でいない仕事が有りましたので、私は3時より参加でした。

メニューは、前菜にHUMUS(エジプト豆のペースト、レバノン料理)、ブルーチーズソースとCRUDITE(生野菜スティック)、生ハムその他など。その後に用意したのは、ザクロ入りのチキンサラダ。セロリや松の実の沢山入ったボリュームあるサラダですが、ポイントはザクロ。


昔、どこかのレストランでいただいてから、よくまねさせていただいてます。
これが、身だけほぐした所です。
抗酸化ビタミンが豊富とか。ほのかな甘さと風味がポイントです。



メインは、おなじみのチキンカレー。前日に作っておけるので便利です。

ワインはRIBERA DE DUEROのVIÑA PEDROSA GRAN RESERVAです。

夫のいとこがSENADOR(上院議員)なので毎年、この恩恵にあずかっていますが、今年は不況の為、残念ながらこのワインも自粛という事で去年の残りを9本いただきました。(このあと、なんと夜の部の為にさらに買い足しにでるはめになりました。)


VIÑA PEDROSAのGRAN RESERVA、とてもおいしいワインです!
場所は、ブルゴスの辺りになるらしいです。一度ボデガ巡りしてみたいですね〜。勿論運転手付きが条件です。

この会は、年に一度という事も有り、いつまでも続くので、見越して作っておいた、ローストビーフとクスクスのサラダが夕食として大活躍しました。(さすが!!去年も一昨年も同様でしたので、今年はもうばっちりです。)

昼の1時に始まったこの会、翌日の5時半にヤットお開きになりました。
もう年が明けていいくらいの量を食べて飲みました。
私は次の日も10時から仕事でしたので。。。ちょっとつらかったです。。。

年長のお二人とももう先が長くない様子ですが、こういいながらもこのままこれが何年も続けられるといいです。


デザートは、このケーキ、すっごくおいしいんです!!
今回私に作る時間がなさそうでしたので、前もって頼んでおいたら夫の別のいとこが特大を2つも持ってきてくれました。マロングラッセのケーキなんですが、昔彼のお宅で食べて感激した事を憶えてくれていたんです!


王家からの注文も多いということです。
ま、だからってどうという事もないですが、もし御興味があればお試しを。お勧めです。ご多分に漏れず結構甘いですが。

この日は、食べ物の写真を沢山撮った筈なのに、メモリーにエラーが沢山でてしまい、写真が使えません。この為、イメージが思いのほか少なくなってしまいました。ぶちさんに続き、カメラ寿命でしょうか。。。nenaさんのも、調子悪いんですよね。



では。

2009年12月4日金曜日

最近ちょっと急がしいので。

このところ、何だかんだとせわしなく。。。
年の暮れが近づいているからでしょうか?

先日、おうどんを作りまして。。。写真を撮ってみました。


この度は少し出来が固めでしたが、それでも手作りは美味しいです。
結構すぐに出来るんですよね〜。それでも、日本に住んでいたら作ろうとは思わないですよね、きっと。。
今日は、いつもと趣向を変え、ゴマだれにしてみました。


煎り立ての白ごまで作ったたれと、ネギ、とうふ屋さんの油揚げを甘辛くした煮しめとわかめで、おいしかったな〜。

この方も、匂いに誘われて、うちの娘より先にやってきました。

はじめは何気ない顔してますが

勿論興味津々です。


夫も娘も、このゴマだれを気に入ってくれました。

最近、限定期間のお約束であるお仕事を始めまして、ちょっと忙しくなってしまいました。友人ネットワークも、お陰でさらに広がりおつきあいも増えてしまいましてこの年の瀬、お約束ごとで一杯です。

本日も、夫と私の仕事や何やらでディナーの時間に間に合いそうもなかったのでその後のドリンクのみという事で、今から(現在23時35分)シャワーを浴びてお出かけです。
スペインの夜は長いです。。。。

明日もお仕事が有るので程々にしてかえってくる”予定”です。



では。

2009年11月25日水曜日

最近の散歩道

今朝、気づかぬうちにうちの娘が朝食用意していてくれました。


自然酵母パンのトーストに、オリーブオイル+砂糖。。。
砂糖って。。。。と思いましたが、ま、美味しかったです。うちの娘の大好物らしいです。ちょっと、kaoriさん気分でした。(kaoriさん、前科有りますが、勝手にリンクさせていただきました。ご迷惑でしたら一言下さい!!)



ところで、このところ、朝、毎日のように新しい散歩場所を楽しんでいます。
念のため詳細は伏せますが、友人宅を出発点として、松林の中を我が愛犬達とお散歩します。

なぜなら、この友人、幼少時代よりテニスは多少した様子なのですが、年を経るごとに運動がおっくうになり、欧米の方々一般にお持ちの悩み、”年とともに体型が全く維持出来なく”なってしまって、それでは少し運動をしなくては。。。と言う結論に。
そういう意味では、日本人、体型維持しやすいんで、良かったなあ〜とつくづく感じます。
長年の食生活ですよね〜キット。

それには、まずは犬の散歩を兼ねての長い散歩かな、という事で、私も協力する事にしました。走るのは彼女の流儀でないそうです。私も、これでちょっといつものマンネリから脱出出来ますし。

こちらが彼女の愛犬ナナ。
チョコレート色のラブラドールです。


散歩にでる直前で、動きが激しくなかなか写真が。
行く先はこんな感じです。

何にもない所ですが、ひたすら松が生えてます。
松の森林浴って、発する特別イオンで体に蓄積された磁気を排出するとか。。。
昔、日本ではやりませんでした?
確かに気持ちいいです。



残念な事にうちのこのかた、繋がれたままです。
相変わらず逃亡癖が抜けず今日に至っても、すぐ遠くの方にいっちゃって、帰ってこないんです。
この松林結構広大なんですが、、実は中間に車道が有って、その昔のまだ子犬時代、お散歩に来た際に轢かれそうになったことがあります。野うさぎやリスがその辺りをちょこちょこ行き来してますので、その後を追って車道の方まで走っていってしまうのは目に見えてますので、今のところはこのままで我慢してもらいます。目境つかなくなりますのでこの方。。。

ほかの方は、みんな自由謳歌です。
このわんちゃんも、黒のラブラドールで、盲導犬訓練生です。
最近、盲導犬の子犬を育てるボランティアやっているひとが特に目立ちます。
お別れの時が、本当、つらいみたいです。
この飼い主の方も、もう、何年もやっているという事です。


彼女が一緒に飼っている可愛い雑種犬、ちょっと、シェパードなんですが、顔がとても乙女です。とっても気が強いんです。何処からか現れます。



2時間近くのお散歩の後は、車に乗って帰宅です。
勿論シートベルトもちゃんとします。

皆さんのわんちゃんも車好きですか??
うちのはこうやって、懲りずに何処にでもついてきます。
お買い物では、小1時間またされるにも関わらず、それでも来たがるんです。
そのかわり、ず〜っとスーパーの入り口窓越しに見つめてます。。。。

では。

2009年11月22日日曜日

ご報告!!あの昔のBFより、嬉しいメールをいただきました!!

皆様にご報告いたします!
なんと、あの彼よりメールが来ました!!

彼も私の名前をネット検索して、FACEBOOKなどで見つけていたらしいです。(FACEBOOKでは、私の写真を掲載してないので本人かどうか確認出来なかったようです。)少しは私の事が気になっていたみたいで、嬉しいです。

昔と変わらず、アーチストとして活動している事を知って二重に嬉しかったです。
あれから長ーい年月が経ってしまいました。
彼曰く、”ちょっとした事で人生って変わるものだね”と。まさにその通りです。

実は、私、二年前に彼と私の共通の当時の友人K君の記事を見つけて連絡を取っているんです。興奮して連絡を取ったにもかかわらず、彼の返事は結構素っ気ないものでした。彼に、元カレの事も聞いたのですが、返事も無く。。。その話をすると、”あいつ、森OOコという、有名アーチストと結婚してすっかりセレブだから。” 。。。。。そんな訳ですか。残念です。

これからしばらくは、元彼と、近況報告に専念します。
素敵な女性と結婚していて、幸せにやっているようです。
良い人ですから。


そんな訳で、ネット社会のマジックの効果を皆様にご報告まで。

では。

2009年11月19日木曜日

昔話−2 ”昔、襲われたお話。” /kaoriさんのお話を読んで思い出しました。

kaoriさんのブログを読んで、私も一度だけ襲われた時の事を思い出しました。
レイプではなく、金銭目当てで。

当時私は、オペラハウスとプラザマヨールの間に住んでいたのですが、弟が日本からやってきたという事で、日本人の、とあるカード会社の方が私たち二人をヘミングウェイで有名なボティンに招待してくれました。

その方が必ず背広でびしっといらっしゃるだろうと予測して、私たちもそれなりにしてご招待にあずかり、食後うちへ向って三人でテロテロ歩いておりました。

マドリッドへいらした事のある方々ならも御存知かと思いますが、あの辺り、かなり旅行者が目立つ所で、今はかなりマシになったようですが、当時は追いはぎのような犯罪が多発していたようです。そこに、三人の立派な身なりの日本人がやってきたのですから、飛んで火にいる。。ってやつです!!

怪しい北アフリカ系の3人が前からやってきて、すれ違い様にフランス語で”日本人”という言葉を聞いたな〜と思いつつ、ご招待いただいた方との話に気を取られていたら。。。

急に私のバックが思いっきり引っ張られていました。
勿論、犯人はその3人。

実際私のバックは、全くの空っぽでして、何か有れば弟に払ってもらうつもりでお財布さえ入っていませんでした。急いで家をでましたので。。。
しかし、突然の事で、何が起こっているのか認識出来なかった私、引っ張られたら、こっちも負けずに引っぱり返すという、人間の本能に動かされ、思いっきり引っぱり返していました。おまけに、弟も、何が起こったのか分からず、必死に争う私を見て笑っている始末。

次の瞬間、目の前に立ちはだかったそのうちの一人の手がズボンの中へ。。。その瞬間、”ピストルだ〜”と思い、ダッシュの体制へ。思いっきりの力でバックを引っ張る手を引きちぎり、走ろうとする瞬間、彼が手にしたものが刃渡り20センチ程のアーミーナイフだという事を確認。(ギザギザが沢山ついてました)弟に”走れ〜”と言いつつ、唯一開いていた宗教関係のものを販売するお店に走り込みました。弟も引き続き走ってきましたので二人とも助かった訳です。中にはベールをかぶった尼さんが二人私たちを迎えてくれました。これも奇遇でした。

弟曰く、”お姉さんが昔、負けず嫌いでよく踏ん張って男の子と戦ってたの思い出して笑ってしまった”とのこと。ナイフが登場するまで、事の重大さに気づかなかったという呑気な事実。
カード会社の方も私の逃走を確認後ビビって反対方向に逃げたらしく、全員無事が確認され、ま、めでたしめでたしと言うことになりお開き。

この後、私と弟は何の事無く家に帰宅しました。

そのとたん!
電話が鳴り、夫の声。
”何してたの?何回も電話してるのに全然捕まらないし”
カナリアにシ出張にでていた夫、悪い予感がして何度も電話していたという事。
実際、留守電にいくつもメッセージが入っていました。
うちの夫、こういう事に鋭いんです!!
テレパシーでしょうか。。。
”えっ”とびっくりして、今起こった事を告白するはめになりました。

夫に説明しているうちに、てがわなわな震えてきてしまいました。
やっと、今起こった事が理解出来たような感覚でした。

夫は早速友人に電話したようで、マドリッド在住の彼の友人二人のエスコートで警察ヘ行く事にしました。
家の近所で起こった事だし、同じことがまた起こらないように警察に届けた方がよいだろうという計らいでした。

私の供述書をとる警察官に、”では、あなたはライオンのように勇敢に戦ったのですね。”と言われ、苦笑しつつ、”そうです”と応えると、”物がとれないという事は犯罪者には示しになりますが、命には変えられませんので、次回は対抗しないように”と、厳しく言われました。何と、同じ場所で同じ犯人と思われる犯行がここ1月に何件も有り、外国人旅行者ばかり、二人重症(一人はリュックサックをはぎ取られるときにひもを切り損ねて、背中をざっくりやられたらしい)一人死亡。。。。シャレにならないです。どうせ、中身のからのバックですからとられても全然構わなかったのですが、引っ張るから対引っ張り返しちゃったんですよね。。。本能とは恐ろしいです。
色々写真も見せられましたが、みんな似ていてよくわかりませんでした。

この後、弟は、また、”お姉さん、昔から変わってないね。フルーツポンチ(椅子とりゲームのような物御存知でしょうか。昔、相当燃えてたんです。)での闘争心、失ってないね。”と繰り返し、ま、何も無くてよかったね〜と言う事に。

このあと、kaoriさん同様、当分の間、一人外出は禁止になりました。
何処でも、夫に刑事のようについて回られました。
勿論、キャッシュディスペンサーでお金を下ろすのも禁止。

これは、この後娘が生まれ、目線が娘に移り行くまで結構続きました。
日本人は、かなり目をつけられますしね。
でも、住み慣れたある時期から、全然目をつけられなくなった事に気づきました。
変な所には行きませんし。

皆さんも気をつけてください。

2009年11月14日土曜日

kaoriさんのマネして昔話-1

スペインに来て、はじめは友人宅にお世話になりました。
もともと、私がスペインに来たきっかけは、NY留学中に結構な数のスペイン人と親しくなったことで、はじめのひと月はNOVOTELに住まう事に。今考えると、超リッチなんですが、バブルの時代でしたので。。。
そんな中、今後どうしようかな〜と思っているときに、NY時代より親しくしていた御兄弟のご両親が、”いい場所が決まるまでうちにいらっしゃい”とご親切にいってくださいまして、折角なのでお言葉に甘えて。。。
ところが、そのお宅、超高級住宅地に位置していまして、バスもメトロもなく、タクシーを呼ばないと当時車の免許もない私には大変に不便な環境でした。(その辺りにお住まいの方、皆さん車でした。)
という事で、数ヶ月後フラットシェアーをもくろんだ訳です。

輸入書専門の本屋さんにそのての掲示板が有るという事を耳にし、早速見に行きました。
ところが!!予想外に、私と掲示板の間には、素敵すぎる若者が。。。フラットシェアーのインフォの電話番号をちぎっている所でした。私もすかさずその電話をちぎると。。。”君もフラット探しているの??”と。

それがきっかけで、英国系南アフリカ人の彼と一緒に住むことになりました。
彼は、その後、生涯思い出に残る友人となった作家T君です。
その他に、友人の彼女のスコットランド人の美術評論家Sちゃんも一緒にシェアする事に。
3人で、JUAN BRAVOのテラス付きの素敵なお家を見つけました。

基本的にT君はいつも家にいましたので、お食事係、Sちゃんは音楽、ムード担当、わたしははじめのうちは学生していましたが、その後仕事を始めたりして忙しくして口ばかりの指示係でした。

疲れてかえってくると、T君の計らいで泡がたっぷりのお風呂が用意してあったり、Sちゃん主催で友人沢山のディナーが開催されていたり、楽しい1年でした。

T君は、南アフリカで生まれ育って、イギリスの劇台本作家のお父さんを持つひとで、アパルトヘイトがまだ有ったアフリカに疑問を持つ青年で、そのためにスペインで放浪生活をしていた模様。いつも何か書いてました。メモとったり。育った環境のためか、頻繁にグランビアやその辺りにいるアフリカ系の不法移民を見つけると、”うちにおいでよ”という感じで、家に連れてくる心優しい青年だったのですが、1日働いて疲れて帰って来て、自分の部屋に電気を付けると、自分のベットに見知らぬアフリカ人がすやすや寝ているのを見つける私の心境を想像してみてください!!

それが何度か続いたのですが、勿論気持ちは察しますので、、、なんとか。。。
ある日、わたし遂に切れました。
ものすごく仕事で厳しい日を送り、疲れ切って帰って来ると、また、見知らぬ男性がすやすやと私のベットで。怒りを抑えて、さ〜お手洗いで用を足してから彼に文句を言おうか、と思いながらバスルームで用を足していると、バスタブでひとの気配が。。。2メートル程のT君が、バスタブの中で小さくなって寝ていました。私に気づいて”Hi!”と言われた時。。。

私でも切れました!!

その後一週間、その日の怒りと、さんざん怒りを吐き出した後の気まずさ、仕事に関しても色々慌ただしい日が続き、T君とは顔も会わせませんでした。ま、そのうち謝ろうかな。あんなに怒る事もなかったな。。と。

そんなことを考えているある日、Sちゃんが仕事先に電話をしてきて”T君が緊急に故郷に帰るらしい”と知りました。
帰宅すると、”今までどうもありがとう。仲直り出来ないままさようならは残念です”という意のメモが。どうやら南アフリカの身近なひとの周りで、アパルトヘイト廃止に関する重大事件が起こったらしく、自分の仲間(白人でありながらカラードの仲間と自称)のバックアップをするのは自分の使命だし、どうしてもその場に居あわせたいので緊急に帰国を決めたらしいのです。

という訳で、けんか別れになってしまいました。

連絡場所も、そのすぐ後にした引っ越しのせいで紛失してしまい、それっきり。
あいたいな〜と、それ以来ずっと思っています。

どこかで再会出来れば本望です。
何だか、最近昔の事よく思い出すな〜。

では。

ヨーロッパ在住の日本人によるブログ

2009年11月10日火曜日

普通の1日にも、驚き、ワクワクあり。

本日は、マドリッドの祭日ですが、私の住んでいる郊外の町は平日です。

ので、娘を学校へ送ってから、お休みを利用して子供を送りにきたパパ達と朝食を楽しみました。私はコーヒーを久しぶりにいただきました。

この後、愛犬のお散歩。半分走り半分歩きの1時間半。チョコレート色のラブラドールの飼い主のお友達パパとその奥様と近くの森林お散歩コースヘ行きました。

さすが、マドリッド祭日とあって沢山の男性がジョギングやサイクリングをしている姿が目立ちました。

この後帰宅し、ネットサーフィンしてますと、驚いた事に、偶然わたしの昔のボーイフレンドに関する記事を発見!!その関係のウェブサイトを検索すると、ブログが。そのブログ内に彼に関するコメントを発見しました。状況からいって彼本人に関するコメントです。

そのボーイフレンドというのも、同年代ではなく、同じ学校に通っていた訳でもなく、近所に住んでいたわけでもない上に、幼少時代から大人になるまで日本国外で育ったひとで、わたしとお別れしてからすぐにご両親が亡くなって、海外にでてしまった様子で、全く音沙汰なくなってた訳なのですが、何度か”どうしてるかな〜”と、思い出したことがあるひとでした。という訳で、早速そのブロガーさんに連絡を。

早速”長いこと会ってないので、連絡とれるかどうか。。”というお返事。
よろしくお願いしておきました。

連絡とれると良いな。1?年ぶりに。

ネット社会の威力はすごいです。


昨日、娘と作ったブラウニー、おやつにいただきました。めちゃくちゃ美味しかったです。
見えませんが、クルミが沢山入ってます!

今日は、一応平日扱いなので、娘の器械体操のクラスがありましたが、今日は特別の日という事にしてパス。
マドリッドの学校に通う、学校がお休みだった近所の子供達と一緒にサッカーをしたいという、娘の希望を承認したわけです。

ところが、二時間後、足をくじいて、お友達数人に助けらながら片足で帰って来ました。軽くくじいた足でボールをけり損ねたらしく、ひどい痛みに顔をしかめつつ、¨クリスチアーノ(ロナルド)といっしょ!¨と笑ってました。

お風呂に入れてやったら痛みも和らいだよう。もう両足をついて歩いてました。

子供ってこんなもんです。

この後すぐに、祭日なのに1日仕事で出ていた夫が、予告無しに和食屋さんでお寿司を買ってきてくれましたので、みんなで飛びついて食べちゃいました。

写真とる暇もありませんでした。あしからず。

大したことしない1日でしたが、何かと楽しかったです。
人生こんなもんです。

ではまた。

ヨーロッパ在住の日本人によるブログ

2009年11月8日日曜日

ちょっと忙しかった今週(写真ないので想像してください)

今週は、何かと忙しい1週間でした。

仕事もしましたが、仕事といっても、最近は素晴らしい仕事が少ないので、自己啓発にも銀行口座の足しにもならないものです。まあ、ないよりかはマシか。

そんな中、とある仕事のオファーが舞い込んできまして、インタビューにいきましたが、ディレクターとの馬あわず。。フィーリングなかったです。

ファッション業に従事する方にも関わらず、CHの白いポロが、奥様(もしくはお手伝いさん)の洗いが、恐らく色物と混ぜて高温洗浄をしてしまったのでしょう、ほのかに黒ずんでました。超高級時計して、MANICURAするぐらいなら、もっと気を使ってほしいな〜。
おまけに、”生まれてこのかた運動して汗かいたこと事ないです”、というばかりの体型、ぽっちゃりギミで色白で常に汗ばんでました。おまけに、変なジョーク連発で、、、、拷問に近かったです。


話は変わって、今週、何より私のエネルギーを費やしたものは、友人Eちゃんの自宅の地下の子供のプレイングルームのリフォーム!!子供達も大きくなったので、クマさんの連れ下がったランプや、その他の幼児向けのおもちゃをいっそう整理して素敵なお部屋に改造するという計画!!


最初は、二人で全部やるつもりでしたが、50M2ある大きなお部屋であるし、作り付けの家具を破壊したりしなければいけないので、知り合いのもとで働くポーランド人の男性お二人にお手伝いをお願いしました。
初日、新調した作業着で現れた私と友人Eちゃんを見てポーランドさんお二方、あきれてました。足手まといの二人の参加、きいてなかったようでした。ま、それが条件という事で、我慢してもらいました!!

”足手まといにはならないようにしますので”といったら苦笑いしてました。
お金もらう身分としては、何も言えないかな〜。

家具の破壊は楽しかったですよ〜!調子に乗って破壊していたら、上の板が落ちてきて、もうちょっと反射神経悪かったら下敷きになる所でした。本当の木で出来ている家具ですから、かなり重いんですよ。早速この板、車に乗せてPUNTO LIMPIOに捨ててきました。

このお部屋の最大の難点は明かり。小さい採光窓があるのみで薄暗く、子供達にも怖い印象の合ったお部屋。思い切って、白で塗り替えました。

壁四面に、屋根に向けた間接照明を付けたら、かなりイメージが変わりました!!

中2日、ポーランドさん達にお任せしてフローリングを敷いてもらいました。結構時間かかるんですね。

その間、私達は、イケアで本棚他の家具を購入、早速配達してもらい、組み立て作業です。
8個の家具を組み立てました。

タチャ〜ン!!

一週間の苦労あって(?)素晴らしいプレイルームが出来ました!!

という事で、昨日はポーランドさん二人を交えてEちゃん宅で打ち上げメリエンダ(おやつ)をしました。
移民としてやってきて、雇われの身で働いている方達なので、思わぬ招待にちょっと居心地の悪い顔をされてましたが、1週間一緒に働いて(迷惑かけて)楽しい思いしましたので、仲間感覚が生まれまし、(私だけ??)折角ですので。。

ポーランドさんたちは、シャンパンの乾杯が終わると苦笑いしながらそうそうに退散されました。

その後、私たちは楽しい談笑を続け、一週間の疲れを癒しました。もち、Eちゃんの旦那様も子供達も大喜びでした。我が娘も、四六時中お邪魔してますので、自分事のように大喜びでした。

うちの夫も、私たちの大作を見て、よくやるね、というような顔をしてました。

今週ずっと筋肉痛でした。

では、

2009年11月5日木曜日

マドリッドの新しい一角

先日、私の仕事先のブランドのプレスのプレゼンにいきまして、その後の約束のランチまで時間が余ったのでその辺りをぶらぶらと。Callejon de Jorge Juanへ久しぶりにいってきました。

スペインを代表するデザイナー”シビラ”のお店が店じまいをして、その後がまに座ったのがRAASTA。 インド出身のデザイナーは、スパンコールやビーズ、プリントをふんだんに使った小技の効いた、付加価値のかんじられる、見栄するコレクション作りをしています。

このブランドは新鮮なイメージの、パーティー映えのするミニドレスが得意で、さすが、インドに精通しているやりてだな、という印象を受けます。そのうえ、彼女、世界中を動き回る女性なので、色々なアイデアがあって、そんなアイデアを沢山覗けるだけで楽しいお店です。



ドレスなどのコレクションのほか、楽しいアクセサリーも満載で、ちょっとしたプレゼントにも面白そうな値段も手頃なものがたくさんありました。

すぐ横にはこんなものが。。。


週末には、たくさんのひとでにぎわう一角ですので、女性たちのショッピングのお連れで引き回されるお父様、旦那様方、こちらで一服出来ます。

その向かいにも新しいお店、常にマドリッドのファッショニストのマストショップ、老舗にもなりつつ有るSCOOTERの姉妹店”JIMMY´S”。フランスを中心にした、かわいらしいお洋服でいっぱいでした。

この袋小路、今でさえ、世界を誇るMARNIも一目惚れして、ブティックを構えるほどのマドリッドのファッションのメッカと呼ばれるアンテナ的エリアですが、シビラ開店当時は、舗装もされず、雨が降ると有名女優さんが泥に埋もれずにお店にやって来れるように板を敷く事も有った程隠れ家的存在の場所でした。

周りも、ほとんどファッションブティックはなく、骨董品を取り扱うお店がポチポチあるだけの、ひっそりとした感じでした。野良猫でいっぱいでしたね。今では嘘みたいですが。

シビラの磁石効果でここまで変貌したこの袋小路からシビラ自身が消えていった事を残念に思っているひとは少なくないでしょう。

世代交代は仕方のないことですが、せいぜい新しいお店にがんばってほしいですね。

私も、スペイン長いんだな〜と、ちょっとノスタルジックになってしまいました。

では。

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2009年11月2日月曜日

ハロウィーンを言い訳に盛り上がります!!

娘は、例年は近所の友人達とその辺りを徘徊してハロウィーンを楽しんでいましたが、今年は近所の仲良しがGRIPE Aで半全滅状態だったので、プランを変えて、うちから車で20分程の夫の親友の家のお泊まりパーティーにいってしまいました。娘と同年代の子と5歳年上のお姉さんの二人の娘さんがいて、その友人を招いての20人近くの女の子が集まる盛大なパーティーらしいです。そんな年なんですね、もう。

そんな訳で、私と夫は、家の近所に住むアメリカ人家庭主催の仮装パーティーへお邪魔しました。このお宅、アメリカ系パーティー、事あるごとにとても盛大に行うんですが、今回も、旦那様のご家族がニューオーリンズから駆けつける程でした。

子供のパーティーも地下で行われていましたが、お庭ではいい大人達が15人程凄い仮装してました。ニューオーリンズのお父様は、白髪のぱきっとした固い感じのお医者様なのですが、この日はドラキュラの歯がのぞく素敵なカーボーイに変身。お母様は角の生えた色っぽいウエスタンの娼婦に変身していました。

このムード、前もって確認してましたので、わたしもウェスタン風に、女ウェスタンのピストル撃ちの亡霊になりきりました。死人メークばっちりで、口から血をたらして暗い道を歩いていたら(手にはラタンもっていきました。)、子供達が真面目な顔になってみてました!!(成功です、フフフフ。。)

そのほかに、Dr.ハンニバルや、シュレック(なぜ??)、中世の魔女など、皆さん凝ってました。アインシュタインの亡霊もいました。

このお宅、夫婦揃ってユーモアのセンスがいっぱいで、パーティーの小物にとても凝るのですが、毎年違うものが登場します。



家の入り口のオブジェ。


家中に飾られた小物たち。

キュートなポテトチップの入れ物。


おつまみのトルティーヤ。

やきとり。トレイがかわいいです。


お庭中にも飾りが。

カボチャランプ。

去年のハロウィーンがとても寒かったため、わざわざこの日のために購入した屋外用の暖房ランプは残念ながら活躍するチャンス無しでした。冷房が必要な程でした。

お食事のメニューは、”殺人鬼のステーキ”の”目玉添え”。目玉は、目玉のおもちゃがはめ込まれたボイルドポテトに真っ赤なラズベリーソースがかかった楽しいものでした。
大きなテーブルに皆で座ってのお食事でしたので、お行儀の良いお父様とお母様の手前、残念ながら写真は控えました。

いくつかのデザートの中、こんなデザートもありました。


食後は、真っ赤なコスモポリタン(Bloody Politanですって!!)で、楽しく過ごしました。

気になる夫は。。。仮装せず、ひげも剃らずに”じゃあ、僕は精神錯乱者ということにしよう” と言い張ってました。
こういうときにサービス精神ないんですね、うちの方。それじゃあ、いつものままじゃないと言いかけましたがやめときました。。。

このお宅の入り口には、やってきた子供達のためにドライアイスとブラックライトの演出で
魔女の実験室のバーのような設定でお菓子をやっていました。ムード満点です。

もともと、アイルランドで始まったお祭りらしいですが、アメリカへ渡った移民達が見知らぬ土地での大恐慌の時代に秋の収穫を祝う意味も含めてパンプキンを使ったお祭りを全土に広げたらしいです。
ペルーに住んだことのある参加者の話では、ペルーでは、子供をかたどったケーキを焼いて、それを砕いていただくという、気持ちの悪い行事が行われるらしいです。御存知の方がいらしたら、詳細が知りたいですね〜。

最近では、スペインでもこのハロウィーンのお祭りがメジャーになってきて、そのかわり、本来のようにお花を買ってお墓参りするひとが極度に減って、お花の売り上げ、今年は20%減と毎年下降しているそうです。半比例して、ハロウィーン産業、うなぎ上りだそうです。

ま、楽しむ口実としては悪くないです。
私は前日も遅かったので夜中の3時過ぎで失礼しました。

では。

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